888の次は777、そして今度は555のゾロ目会計 ^ ^
久し振りに宝くじでも買ってみようかな~
偶然の出来事とはいえ、こんな事で喜ぶ45歳
本日はちょいと仕事をさぼり栃木県の太平山へ花見に出掛けました
ここ太平山は足尾山系の最南端に位置する風光明媚な観光地です。標高341メートルと小さな山ですが、太平山神社をはじめ名所旧跡や豊かな自然に恵まれ多くの人々が訪れます。
そして太平山では毎年4,000本ものソメイヨシノが花を咲かせますが、中でも一番の花見スポットは「日本さくら名所100選」に選定されている太平山遊覧道路です。
場所は栃木カントリークラブ手前、永野川付近から山頂へ車を走らせると見事な桜のトンネルが姿を現します。特に栃木カントリーの先までは素晴らしい景色が続き、美しさのあまりハンドルを握っている事さえ忘れてしまいました
またこの道は栃木カントリーの中を通過するため一瞬ゴルフ場に迷い込んだ錯覚に陥ります。しかし両側に広がる青々した芝と相まり、ガラス越しに見える桜並木はさらに美しさを増します。
本日はあいにくの空模様ですが、桜のトンネルをくぐると一瞬で心に晴れ間が広がりました
さて目的地の太平山神社は天長4年(827年)に慈覚大師により建立された歴史ある神社です。武家をはじめ多くの人々から信仰を集め、特に徳川将軍家からの信仰があつかったことから社運も繫栄し今日に至ります。
また拝殿の並びにはたくさんの境内社があり、交通安全、安産、豊作など多くの神様が祭られています。さらに太平山神社は1,000段もの石段で作られた表参道が有名で、梅雨になると石段の両側に2,500株のアジサイが咲く名所でもあります。
そして太平山には、かつて上杉謙信が「関東平野」の広さに目を見張った場所として「謙信平展望台」があります。晴れてれば東京スカイツリーや富士山を眺めることもでき、地上に霧が掛かると霧の上に山々が現れることから「陸の松島」とも言われてます。
さてさて小腹をすかせた私は神社近くの「山田屋」さんでお目当ての食事をいただきました ^ ^
ここ太平山には数件の茶屋がありますが、どの店でも取り扱っている三大名物があります。それは焼き鳥、玉子焼き、あん団子であり、セット物であれば共通して「太平山名物セット」として提供されてます。
また三大名物とされた由来は、その昔、夜鳴きするニワトリは災難を招く不吉なものとして太平山神社に奉納する風習があったそうです。そこでニワトリの卵を玉子焼きに、肉を焼き鳥にして食したそうです。
そして団子は五穀豊穣を願いたくさんの穀類が奉納され、その一部を太平団子として振る舞ったことが始まりとされます。
本日はあいにくの天気で気温も一桁台、しかも辺り一面には霧が立ち込め花見どころではありません
しかしお目当ての名物料理にありつけた私は「花より団子」????と言わんばかり満足げに下山したのは言うまでもありません
さて悪天候にも関わらず、次に向かった先は埼玉県幸手市にある権現堂公園(ごんげんどう公園)
園内には桜の名所として知られる「権現堂堤」があります。ここ権現堂堤では1キロにわたる中川の堤防上に約1,000本のソメイヨシノが咲き誇り見事な桜のトンネルを作ります。
また堤防下には広大な敷地に菜の花畑があり、桜の淡いピンクと菜の花色のコントラストが見事でした
ここ権現堂堤は埼玉県内はもとより関東地方でも有数の桜の名所です。また6月には100種10,000株のアジサイが、9月には100万本の彼岸花、1月には水仙が見ごろを迎え、年間を通じ四季折々の花が咲き乱れるそうです。
本日は悪天候ながら心に残る風景を思う存分堪能できました
遠方へ車を飛ばせば疲労も溜まります。しかし美しい光景を目の当たりにすると疲れも一瞬にして吹き飛びました
皆様もぜひ来年足を運ばれてみてはいかがですか ^ ^
(太平山神社)
参考URL:http://www.ohirasanjinja.rpr.jp/event/sakura.html
(権現堂堤)
本日はちょいと仕事をさぼり「都電荒川線」で下町散歩に出掛けました
さて都電荒川線は明治44年、大塚~飛鳥山間で開通し100年以上の歴史があります。沿線は下町情緒あふれる町並みが続き、荒川区三ノ輪橋から新宿区早稲田までの12,2キロを30の停留所で結びます。
また最盛期の昭和30年には41路線、総延長は213キロにも及びました。しかしその後マイカーの普及などで利用客が減少、さらに採算性の悪化が続きバス輸送に転換され徐々に姿を消しました
しかし荒川線は並走する明治通りの渋滞が激しくバスによる転換が困難とされ存続が決定。現在では都内に唯一残る路面電車として活躍しています。
さて初めに向かった先は早稲田から3つ目の「鬼子母神前」きしぼじんまえ停留所
ここ鬼子母神堂は安産、子育ての神様である鬼子母神(きしもじん)をまつるお堂です。
鬼子母神とは仏教の守護神ですが、その昔はインドの鬼神の娘でした。彼女には1000人の子がいて、子育てに必要な栄養をとるため人間の子供をさらって食べていたそうです。
そこでお釈迦様は彼女を改心させるため、彼女がもっとも可愛がっていた末子を隠してしまいます。すると彼女は嘆き悲しみお釈迦様に助けを求めました
するとお釈迦様は「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と彼女をいましめたそうです。
つまり1000人も子供がいて一人失うだけでも悲しいもの、ならばたった一人の子をさらわれた両親の苦しみはいかほどであろうか・・・ と彼女をさとし、命の大切さや子供を可愛がる気持ちは鬼神も人間も変わりないことを教えました
その後彼女はお釈迦様の教えを受け改心し、鬼神から安産と子育ての神「鬼子母神」となることを誓い今日に至ります。
そして現在のご尊像は室町時代に文京区目白台で掘り出され、本殿は寛文4年(1664)に創建され昭和35年に東京都有形文化財に指定されました
また境内には樹齢600年を超えるイチョウの巨樹や、武芳稲荷堂、そして日本最古の駄菓子屋もあり人々の憩いの場として親しまれております。
続いて境内の一角には朱塗りの鳥居が印象的な「武芳稲荷堂」があります。
ご存知の通り稲荷神社は「お稲荷さん」とも呼ばれ馴染み深い神社のひとつ。総本宮は千本鳥居で有名な京都の伏見稲荷大社です。
さて平然と立ち並ぶ鳥居が神秘的ですが、そもそも鳥居とは神域への入り口を示すもの。つまり鳥居周辺には神が現れる降臨地があり、そこには現世から神のいる霊界へ続く関門があるそうです。
また千本鳥居は奉納により建てられており、願いが叶うたび次々と奉納されるため無数の鳥居が立ち並びます。そして「鳥居を通る」=「願いが通る」という語呂合わせから、お祈りしながら鳥居をくぐるとご利益があるそうです。
こちらは境内にひっそりと佇む日本最古の駄菓子屋「上川口屋」さん。なんと創業は今から235年前の1781年
江戸時代から店を構え現在の店主は実に13代目!またジブリ映画「おもひでぽろぽろ」に登場する駄菓子屋のモデルでもあり、この日もテレビ番組の撮影が行われてました
そして現在の建物は明治時代に建てられ、関東大震災や東京大空襲でも奇跡的に被害から逃れたそうです。
所狭しと並べられた懐かしの品々、中には100年以上使用している桐箱もありお店の歴史や風情を感じ取れます。
次に向かった先は「庚申塚」停留所
ここ庚申塚は「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺の最寄り駅です。また「おばあちゃんの原宿」としてにぎわう巣鴨地蔵通り商店街の入り口にあたり連日多くの乗降客で込み合います。
さて庚申塚停留所では一風変わった光景が目に飛び込んで参りました。なんと都電のホームに甘味処「いっぷく亭」と居酒屋が店を構え、その隣にはお琴教室も隣接してます。
電車を降りて3秒のアクセス!もちろん抜群の立地条件なのでここにはお店の看板すら見当たりません
しかも路面電車の駅は「停留所」と呼ばれ改札がありません。つまり電車に乗らなくてもお店を利用できるため飲み助の私には嬉しい限りです。
さて、ここ「いっぷく亭」は看板なき隠れた名店として知られます。名物は北海道の特選小豆を使用した「手作りおはぎ」ですが、私がいただいたソース焼きそばも絶品です。
モチモチ麺に目玉焼きがトッピング、しかも彩かな盛り付けは食欲をそそるばかりか丁寧な仕事ぶりが伺えます。またメニューも豊富で、クリームあんみつ、抹茶アイスなど甘党の方にはたまらない品揃えです。
そして店内には荒川線にまつわる品も展示され、窓越しに都電が往来する姿はここでしか味わえない貴重な光景です。
さてさて次は「飛鳥山停留所」で降りると桜の名所でお馴染みの飛鳥山公園が姿を現します。
飛鳥山公園は約300年前(享保5年)徳川吉宗が桜の名所として整備した日本最古の公園です。標高25,3メートル、かつては都内一低い山として国土地理院に申請した事もあるそうです。
しかし周囲はすでに道路や鉄道にとどまらず膨大な情報が地図上に書かれておりました。そのため「飛鳥山」と記載するスペースがとれず却下されたエピソードがあるそうです。
そして公園内には資本主義の父「渋沢栄一資料館」をはじめ3つの博物館と野外ステージ、都電の展示物もあり連日多くの人々で賑わいます。
また荒川線は路面電車ですが一般道を車と並走するのはここ「飛鳥山~王子駅前」のひと区間のみ。したがい大部分は専用軌道を走るため渋滞とも無縁、つまり定時運行に支障がないことも荒川線存続理由の一つにあげられました
そして現在は一日の乗降客も5万人を数え地域に密着した交通機関として親しまれております。
さて荒川線の旅も終盤に差し掛かり次に向かった先は「荒川遊園地前」停留所
ここ「あらかわ遊園」は今から95年前の大正11年、失火で操業停止したレンガ工場跡地に開園した歴史ある遊園地です。
しかし当時はアトラクションと呼べるものは少なく温泉大浴場や演芸場、そして料亭など大人がくつろぐ保養所のような施設でした
その後経営難や戦時中は閉園にも追い込まれましたが、昭和25年荒川区の区立遊園地となり現在に至ります。
そしてここでは低年齢の子供が楽しく遊べるよう工夫されており、乗り物も一通り揃ってますが激しい動きのアトラクションはありません
また入園料も安く財布を気にせず利用できるうえ、園内には小動物園や水遊び場、そして釣り堀や芝生広場もありピクニック感覚で楽しめます。
ここ、あらかわ遊園は長きにわたり人々に愛される下町のランドマーク 。都会にいながら日常の慌ただしさから解放されるばかりか、ほのぼのした空気に時間が経つのも忘れてしまいました
続いて荒川遊園をあとに路地裏に入るとお目当ての店「ふく扇」 fukusen を発見
ここはたこ焼き屋ですが「たこせん」が看板メニューのお店です。混雑時は行列ができますが本日は並ばずお目当ての品にたどり着けました ^ ^
さて「たこせん」とは大阪発祥のソウルフードで、タコをプレスした姿焼きとは異なり「たこ焼き」をエビせんでサンドしたもの
そして今ではB級グルメとして知られますが始まりは昭和40年代にさかのぼります。
当時大阪岸和田の学習塾の前に一軒のたこ焼き屋がありました。常に塾の生徒で賑わいましたが、タコ焼きのトレーを所かまわず捨てるため近隣からの苦情が絶えなかったそうです。
そこで店主が考案したのはエビせんべいの上にたこ焼きをのせる方法です。つまりエビせんを容器として利用するためゴミも出ずく苦情もなくなりました
それがクチコミで関西一円に広がり、今では全国的にお祭りやイベントに欠かせないアイテムとなりました。よって厳密にいえば大阪発祥なので「大阪たこせんべい」という呼び方が正しいみたいです。
さてさて話は「ふく扇」に戻りますが、この店の「たこせん」にはこだわりが山ほど詰まってます。
出汁とソースは大阪直送の本場仕込み!しかもシンプルに見えてタコ焼き2個、マヨネーズ、オカカ、特製ソースの4段仕立てでお値段たったの100円なり
そればかりかパリパりのエビせんとトロトロのたこ焼きの異なる触感は病みつきになります。
下町情緒あふれ気さくな店主がもてなす「たこせん」の名店「ふく扇」 fukusen
昭和の香り漂う風情ある店構え、そして古き良き時代背景を継承しつつ末永く営業していただきたいです。
さて長旅でお腹をすかせた私は「たこせん」に続き「もんじゃ焼き」へ移動
ご存知の通り「もんじゃ焼き」とは下町のローカルフードでお好み焼きのルーツとなった食べ物です。
発祥は古く200年前の文政2年、葛飾北斎が発行した北斎漫画に「文字焼き」のさし絵があったため、既にこのとき江戸には「もんじゃ焼き」に類する食べ物があったとされます。
そもそも文字焼きとは「もんじゃ焼き」の由来にあたるもの
つまり子供たちが水溶き粉で鉄板に「文字」を書き覚えながら食べたことから「文字焼き」→「もんじ焼き」→「もんじゃ焼き」と呼ばれるようになったそうです。
また現在のもんじゃ焼きにつながるスタイルは江戸時代末期から明治時代にかけ東京の下町で誕生しました
しかし当時は薄く焼いた生地に甘い蜜をかけただけの「甘味」であり駄菓子屋で売られてました。その後しだいに味や具材に変化が加わり現在の形に近づいたそうです。
したがい今でも「もんじゃ焼き」が駄菓子屋で提供されるのは、かつて甘味として駄菓子屋で食べられていたかです。
さて、そろそろ日が暮れてきたので荒川線の旅もここで終了です。今回もハードスケジュールでしたが下町情緒あふれる街並み、そしてほのぼのした雰囲気に大都会東京の別の姿を発見できました
皆様もぜひ下町散歩を楽しんでみてはいかがですか ^ ^
本日はちょいと仕事をさぼり静岡県焼津市で海鮮を堪能 ^ ^
ここ焼津市は静岡県中央部に位置する駿河湾に面した港町です。焼津といえばマグロで有名ですが「カツオ」の水揚げ量は日本一を誇ります。
また桜エビの産地として知られますが、日本では駿河湾や相模灘のような深海にしか生息せず漁獲対象はここ駿河湾のみです。つまり国産桜エビの100%が駿河湾産ということです。
そして乱獲を防ぐため漁期も年間40日程度に限られているそうです。しかし近ごろ温暖化の影響で漁獲量も激減しており、実は身近に見えて大変貴重な食材でもあります。
そんななか早速到着した私は「食事処かどや」で海鮮丼と桜エビのかき揚げを堪能♪ここ「かどや」さんは舌の肥えた地元客でにぎわう創業70年余りの老舗食堂です。
海鮮丼は新鮮なあまり歯ごたえさえ忘れるフワトロの触感♪そしてサクサクで風味ある桜エビのかき揚げも美味しくいただきました
また焼津市は漁業にとどまらず温暖な気候を利用してイチゴやトマト、茶やみかんの生産も盛んです。あわせて自然の恵みが豊富であるばかりか年間を通しぎわう県内屈指の観光地でもあります。
さてさて空腹を満たした私は静岡市との市境、日本坂峠ふもとの「花沢の里」へ向かいました
ここ花沢の里は明治から昭和にかけて建てられた古民家が建ち並ぶ集落です。古くは奈良時代の東海道と呼ばれ「駿河三十三観音霊場」10番目の札所、法華寺もこの一角にあります。
ここでは古民家と緑豊かな自然、そして小川の流れる傾斜路を20分ほど散策する事ができます。そんな風情あふれる花沢の里は平成26年、静岡県で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたそうです。
そしてこの里を起点に複数のハイキングコースが整備され、満観峰まで足をのばせば富士山や駿河湾の美しい眺望を楽しめます。
花沢の里入り口から歩くこと15分、風情ある家並みにひっそりと佇む「庭カフェ・カントリーオーブン」
長屋門造りという独特の建構えの古民家で築年数は100年以上経つそうです。長屋の一階がキッチンに改装されており、そこで作った手作りケーキやコーヒーをテラスでいただけるから「庭カフェ」
以前はテラスだけの提供だけでしたが、現在は蔵を改装した暖かみある店内でくつろぐことも出来ます。また店頭では自家製マフィンやくるみパン、シフォンケーキなども販売されてます。
花沢の里にひっそり佇む唯一の店、それが「カントリーオーブン」
緑豊かな自然、そして風情ある古民家でいただくコーヒーは格別です。そしてここに居るとついつい時間が経つのを忘れてしまいそうです。
さて最後に向かった先は焼津市のランドマークとして知られる高草山
笛吹段公園からの景色は駿河湾と焼津の町並み、そして緑豊かな大自然と相まり圧巻です。ここでは180度の大パノラマを楽しめるため、曲線がかった地平線を眺めると地球が丸いことを実感できます。
また眼下に茶畑やみかん栽培の様子もうかがえ、焼津市の産業を一目で見渡せる絶好の場所でもあります。そして夜になると東名高速新幹線の明かりが灯り幻想的な夜景スポットへと変わります。
今回もハードスケジュールでしたが美味しい料理と風情ある家並みを散策でき思い出に残る旅となりました
皆様もぜひ足を運ばれてみてはいかがですか ^ ^